「ありがとう」の反対は「当たり前」
2017/10/26
「人は亡くなる前の5 年が最高に幸せだと感じられれば、それ以前がどんなに苦しく悲しいことがあろうともその人の一生分が輝き、素晴らしいものになる。」と15年程前に尊敬する方からお聞きした時、両親のことが即座に脳裏に浮かんだ。
2人共79歳だった。
心配ばかり掛けた両親にここから出来るだけのことをしてあげようと思った。
そして、自分自身もいつ死んでも良いと思える位の人生にしよう︕と更に決意を固めた。
それから5年後に母、7年後に父を見送った。
親孝行がぎりぎり間に合った気がした。
それは、最後の5年間沢山の「ありがとう」を言えたことだ。
私は運よく両親がいて自分が50代になるまで親子でいられた。
これだけでも決して当たり前のことではない。
だから、当たり前だと思っている様々な現状を見直し「ありがとう」を沢山言える自分でありたい。
少しだけ勇気が必要だけれど、明日からいろいろな場面で「ありがとう」を笑顔で言ってみよう。
当たり前だと思っていたことが、失ってから気づいたのでは遅すぎるのだから。
そんなことを考えながら、ネットを見ていたら1歳から12歳まで教えさせて頂いた教え子を見つけた。
彼女は東大の法学部で学んでいた。
裁判官になりたいという夢に向かって大きく前進していた。
自分の好きなことが分かり、夢を持ち夢に向かって勇気を持って突き進むことが出来る子を育むこと。
これが私の使命だと思っている。
その通りに育っている教え子に「ありがとう︕」という言葉が思わず口から出ていた。