小・中・高校受験そして大学受験について
私はこれらの受験全てに34 年間関わって参りました。
大学受験で成功するためには、中学受験から始めることがポイントだと感じています。
但しそれは、公立中学に進級することがだめであると言うことではありません。
中学受験をするつもりで、小学3 年生から得意な分野を伸ばし、学びを積み上げていくことが大切であると言うことです。
0 歳~小学2 年生までに大切なことは、見ただけ聞いただけで覚えて理解できる脳を育むということです。
これが出来ていないと、学ぶこと自体が苦しいことになりがちです。逆にこの脳があれば、3 年生からは好きな分野の勉強を自ら沢山していくことが出来ます。
保護者様ご自身が、大学受験でご苦労をされたご経験をお持ちの方は、我が子にはもっと早くからスタートを切らせてあげたいと思われていることでしょう。
また、大学選びは好きな学部をまず選ぶことが必要です。何についてもっと深く学びたいのか?
つまりは、学ぶ上で好きなことは何なのか?
このことを幼少期から大切にしていかなくては18 歳になっても決めかねてしまいます。
ここだけは、国立・県立・私立・公立受験共に子育てにおける重要なポイントです。
学力の高い私立中学は、中学3年生までに高校1 年生の内容までを習得させます。
つまり、高校2 年生までに全てを終え高校3年生の1 年間は大学受験のための勉強になります。
公立中学でトップ層にいたとしても高校に入学した時点で既に履修内容で1年間の差がついていることになります。
ですから、公立中学に進学するということは、トップ層の成績をとり進学校といわれる高校に進学しないことには世間で俗に言う一流大学には入学できない図式になっているのです。
直営校MIRAI は0 歳から8 歳の、見ただけ聞いただけで理解の出来る脳を育成する能力開発を行なっています。
また、9 歳から12 歳までの思考の臨界期といわれる脳に徹底的に考えさせるプログラムを完成させ進めています。
大学進学を視野に乳幼児から12 歳までの一貫教育プログラムで学んでいきませんか?!
泣いて笑って2 万人の子ども達と共に
私は、10 代の時までは日本一の幼稚園の先生になると決めていました。
しかし、教育実習中に私の運命は大きく変わったのです。
実習の成果を園長先生と担任の先生に見て頂く授業発表の日、そのことは起きました。
授業内容は徹夜して作ったもので、それなりに自信はありました。
当日は、授業の準備も万全で子ども達との関係も良好でした。
授業カリキュラムは、幼児教育5 領域を押さえた中々の出来だったと今でも思います。
『あの~、もう終わったんですが―』授業が終わった後も先生方がお立ちになられないため、声をお掛けしました。
園長先生が目を丸くされて「いやー!素晴らしすぎて腰がたたなくなったのよー!」と言われました。
19 歳の私は、正直にその言葉をそのまま受け取り、上機嫌で家に帰りました。
さて、そこからが問題です。
『まてよ、19 歳で園長先生がお立ちになれないほどの授業が出来たという事は、この先目指すものがないということじゃないの?!』この様に捉えてしまったのです。
今思えば、若者は馬鹿者でした。
園長先生は当時50 代で今の私と同じ世代でした。
授業中床に座られて私の授業をご覧になられていましたので、今考えればすぐにお立ちになれない程に、腰が痛かったのではないかとも思うのです。
しかし、そこは若者!
そのまま素直にそのお言葉を受け取り『幼児教育制覇!』と、大いなる勘違いをしたまま大学を卒業しました。
そこから、私の人生の大転換期を迎えていったのです。
公立幼稚園教諭になるための市役所での試験日、私は両親には試験に行くといい家を出ましたが行きませんでした。
両親からは、後にさんざん叱られました。
その時に私が両親に言った言葉を今でも覚えています。
『今は、何になるかはまだ分かりませんが、必ずこの職業にして良かったと思えるものを見つけ親孝行をします!』と言いました。
あれから34 年。
私は,株式会社パスパルと株式会社エンジェルコスモの社長になりました。
両親には、40 歳になるまでハラハラさせ通しでした。
でも、私が50 歳になった頃初めて「洋子は、本当によくやりきったね。」と褒めてくれました。
園長先生の褒めてくださったお言葉と両親の28 年ぶりの褒め言葉の、どちらも私の人生にエネルギーを与えてくださいました。
今私は、言葉の出てこない日本中のお子さん方のお母様方に言葉が出てくる方法を指導させていただいています。
今このような立場にさせて頂いたのは、全て最初に「誉め言葉」があったからなのです。
言葉一つで人は大いに喜んだり、生きる力にしたりすることが出来ます。
美しく優しい言葉を紡いでいきたいものです。